吉永醸造店について
吉永醸造店物語
吉永醸造店は、昭和三年に、初代吉二により、鹿児島市西田にて創業しました。
屋号は、菱型の中に吉永の「吉」でヨシビシです。
旧松元町の農家の出身であった吉二は、熊本の醤油蔵での丁稚奉公を経て、
当時、まさに町名の示すとおり、田んぼに囲まれた西田にて醸造業を始めました。
蔵を構える西田本通りは、眼前に雄大な桜島を臨み、古くは、島津家の参勤交代の通り道となっており、
歴代の島津家の殿様、西郷隆盛や篤姫、坂本龍馬なども、この通りを歩いたと言われています。
また、蔵のある場所は、ジョン万次郎が薩摩藩の取り調べを受けた際に宿泊した場所と言われています。
店頭にある杉の木を削りだして作った看板には、初代吉二の直筆による会社名が刻まれています。
創業者 初代 吉二 |
初代直筆の看板 |
その後、二代目亨により、より上質な甘みとコクのある商品造りが行われました。
研究熱心な二代目亨は、より高品質で、甘み、コクを引き出した商品造りを探求し、
現在のヨシビシの主力商品であるこいくちしょうゆ「天龍」を開発しました。
その後、鹿児島の特産品である芋焼酎にも匹敵するような鹿児島の甘口醤油を造りたい
との思いから、「本造りしょうゆ」を開発しました。
現在のヨシビシの醤油味噌の各種商品は、大半が二代目亨により、開発されました。
2代目亨
現在は、三代目広記により、「鹿児島から全国に誇れるさしみしょうゆ」をコンセプトに製造された「薩摩の雫」、
忙しい現代の食生活に合わせ、「醤油と味噌でいつもの食事を少し贅沢に」
を製造理念に、醤油味噌の製造で培った技術をベースに、手軽に使うことの出来る、つゆやたれなどの
醤油味噌の加工品なども手がけています。
醤油味噌という根幹の部分を守りつつも、古い伝統に固執するだけでなく、
柔軟な発想で醤油と味噌の可能性について、とことん追求していく。
「変わらないために変わり続ける」
その想いを胸に質の高い商品造りを心がけています。
吉永醸造店(ヨシビシ)三代目吉永広記
吉永醸造店は、近代化された機械設備も、オートメーションのラインもない、
鹿児島の小さな小さな醤油味噌蔵です。
醤油や麦味噌、その他商品の製造も、三代目である吉永広記が全て自分で行っています。
作業も、大部分を手作業で行っています。
そのため、大量生産なんてとても出来ず、生産効率は、非常に非効率かもしれません。
しかし、全ての商品に関して、ひとつひとつ、五感をフルに活用して製造しています。
効率性を求められ、大量生産、大量消費のこの時代ですが、
目の届く分だけ、手のかけられる分だけ、醤油味噌と正面から向き合って製造しています。
創業当時は、田んぼだらけだった街の風景も様変わりし、鹿児島の中心駅である、鹿児島中央駅から徒歩5分ほどの
位置にある、「マチナカの醤油屋」として親しまれています。
鹿児島の中心市街地の中に、ほっとする醤油や味噌の香り。
店頭では、創業当時と変わらぬ醤油と味噌の量り売りのかめが並びます。
時間も手間もかかる醤油味噌の量り売りは、現在では、国内でも非常に珍しくなりました。
しかし、吉永醸造店では、「対面販売こそ商売の基本」だとの思いから、現在も続けております。
必要な物を必要な分だけ。パッケージなど無駄なものは省いた量り売り。
モノがなかった時代から続いている、量り売りという販売方法は、現代社会にこそ必要なのかもしれません。